高野山真言宗

春日山

談議所

願成就寺

Gan jou jyu temple      がんじょうじゅじ  

宮崎県 日南市 飫肥

四百年の歴史を持つ伊東藩飫肥城の鬼門守護寺


春日山 願成就寺 

かすがさん がんじょうじゅじ

飫肥 談義所  

おび だんぎしょ

”赤面法印”は願成就寺第五世祐遍和尚

 飫肥の城下に伝わる”赤面法印”(あかづらほういん)のお話です。

 願成就寺の第五世となる祐遍和尚は永禄年間(1558-1570)飫肥に城下に生まれ若くして京都の新義真言宗・智山派総本山智積院に学び、帰郷後はその才覚から願成就寺の僧となりました。

 しかしながら生まれながらの端麗な顔立ち、城下での托鉢(たくはつ)ではその読経の美声に引き寄せられるかのように現れる娘や人妻に、衣の袖を引かれたり恋文を袂に入れられたり、はたまた恋文を渡すために寺にまで忍び込まれる始末。

 祐遍和尚はこの事態に仏道を定禅する身として自らの浮心不徳と自戒の念に駆られてしまいます。

 思い悩んだ末に決心し、大釜の煮え滾る熱湯をかぶり、大火傷で醜く変わり果ててしまいました。

 その後托鉢に現れる火傷で正視できないような形相の僧があの祐遍さんとは誰も知る由もなく、「赤面坊主」と蔑みました。

 しかし時が過ぎ、その透き通るような読経や立ち振る舞いからその僧が祐遍和尚であることが分かって来ると、心惹かれていた女性たちは自らの行状をわびると同時に祐遍さんの清らかな求道に心酔し、仏道に帰依する人も現れました。

 これが飫肥に伝わる”赤面法印”のお話ですが、そののち祐遍和尚は6世に願成就寺を託すと、浄土を求めて飫肥の町を流れる酒谷川から筏を組み海へ旅立ちます。

 その時の遺言は、「私が浄土への道を達した折には新山に白煙を立てるのでそこを墓とするように」と弟子たちに伝えられました。

 酒谷川見下ろす現在の”祐遍堂”はその地と言われ、その日が八月三日、毎年その祐遍さんの命日としてお堂と願成就寺では祐遍法印の法要が行われ、また酒谷川では夕刻”祐遍法印灯篭流し”が行われ、祐遍さんを偲ぶとともに飫肥城下の夏の風物詩になっています。

 

願成就寺の境内の様子を、下の動画でご覧になれます。(youtobe日南TV掲載)画面の中央白い矢印をクリック後、白い英文をクリックして下さい。

紅葉の山門

聖観音永代供養廟

平成28年3月7日第二十九世住職俊秀大僧正二十七回忌法要

神尾季羊氏の句碑

      鶯の 声よく透る 悼みかな    季羊

神尾季羊

神尾季羊(かみお きよう、1921年1月2日-1997年6月16日[1])は、俳人。 愛媛県松山市出身。本名・匡。神尾久美子は妻。宮崎商業学校卒。宮崎神宮嘱託。1946年『ホトトギス』の高浜虚子に師事。1950年『菜穀美』の野見山朱鳥に師事し同人となる。1954年『椎の実』主催。73年『鷹』の藤田湘子に師事。1971年宮崎県文化賞受賞。宮崎県俳句協会名誉顧問。

Wikipediaより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B0%BE%E5%AD%A3%E7%BE%8A