第27世俊照和尚
明治5年(1872)時の明治政府確率の混乱期に徳川幕府の骨格を成していた仏教の影響を排除すべく一部の反仏教勢力が神仏分離を拡大解釈し廃仏毀釈にまで令を広げてしまいました。
願成就寺もその難に遭い他の仏教寺院と共に廃寺となってしまいました。
幸いにも延焼を免れた本堂をもとに大正13(1924)年、伊勢木俊照和尚が第27世と成り当時荒れ寺と成っていた願成就寺の再興に着手しました。
その後太平洋戦争終戦を機に、京都帝国大学で教鞭を執っていた 次男俊秀が同大学文部教官を退官、飫肥に戻りその志を引き継ぎ、日南(南那珂)地方行政の振興と合わせて寺の復興に取り組みました。